正しさという名の正義
科学をやっていると、常に正しさとの戦い(面白さとの戦いとは別ですが)になるので、常に頭が「正しいか・正しくないか」を考えるようになってしまいます。しかし、この「正しい=正義、間違い=悪」といった構図は、科学に特に求められる物ですが、日常生活においては”あまり重要でないこと”です。
(以下、かなり誇張を含みます・・・・)
時々ある会話
私:それちょっと間違ってるんだけど・・・・
嫁:正しいだけじゃ人は動かなんだよ!
私:はい・・・・
嫁:正しければ人がやる気になるわけじゃないでしょ
私:はい・・・・
昨日もこんな会話がありました。(誇張を含みます)
私:論文の正式な出版原稿ができたよ。
嫁:良かったねぇ。論文って子供みたいな物なの?
私:・・・・・子供ってどういういみ?
嫁:そんな深い意味ないわ!感覚じゃ!
ついつい、意味を厳密に捉えようとしすぎなのは、自分がグラント書きに苦しんでいるからだと思われます。
論文って子供とは違いますよね。子供は勝手に育つし。寧ろ、論文それぞれにその時の努力の記憶が付随しているので、例えるなら、やっぱり”芸術作品”みたいな物かと思います。自分の論文を作品に例えるなら、ゴツゴツとした金属を溶接した成形物のようなものでしょうか(ゴミじゃないよ!)
ああ、また現実逃避のための雑感を書いてしまったので、そろそろグラント書きに戻ります。。。。
サラダバー(今日の雑感のできは良いと思う!)
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