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 募集要項:博士前期過程
      博士後期課程

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動物やヒトを対象に神経経済学の研究を行っています。神経経済学には神経科学,経済学,心理学の知識を用います。興味のある方は、h-yamada_at_md.tsukuba.ac.jp へご連絡下さい。筑波大学です。博士前期・後期課程の研究指導担当教員となっています。twitter: @Hiroshi12337131

卒業生

卒業生:田尻涼(2014, 医療科学類)、今泉優理(2018, 医療科学類)久保木亮介(博士論文指導(神経科学)2022、現武田薬品工業)

2021/04/04

2021/1/31

 自己分析シリーズ(長文注意報発令中)

雑感連投:日本的教育の産物としての制約条件
日本人として育った自分を省みると、アメリカの職場(東海岸)で会った人々との違いを良く実感することがあります。それは、◯◯をしては行けない、という社会の暗黙の了解に自分の思考や行動が強く縛らていることです。単に自分がそういう傾向が強いだけかもしれないのですが、日本人特有の?(イギリスもそれっぽい気もするけど)空気を読むみたいな思考、があるように思います。◯屋さんとか國◯(*0)さんには、全くそんなことありませんと即つっこまれそうですが・・・・(ちなみに私は全然空気が読めませんが・・・というか読むのが嫌いです)
もちろんアメリカにも prohibited (法律で禁止された)された事項があるし、人種差別のように人の存在の根源に関わるような世界的に禁止されている(つまり、価値観の常識)制約(*1)、があります。しかし、日本の制約はそれとはなんかちょっと違っていて、寧ろ、日本の成り立ちというか、元々村社会(うちの母の実家が農家でして)的な部分から生まれている、国土の狭い単一民族の社会的距離感の近い人どうしが、うまくやっていくためのシステムとしての制約があるように思います。イギリスは島国だから近いのかなぁ。
 一方、アメリカは多民族国家で、隣の住人はどこの誰とも知らない人(*2)なので、まず、お互いを知るところから始めるんですよね。誰とでもすぐ話すのは、社会のセーフティーネットなんだと思います。一方の日本は、信用取引みたいなとこがあって、あ、〇〇さんのお知り合いね(→じゃあ大丈夫)、とか、って側面が非常に強い(知ってると安心する)なぁと思います。都会で、アパートの隣の住人誰かもしらないってのは、アメリカ的セーフティーネットが日本の文化に無いことの表れではないでしょうか。このへんは、アメリカの大学の人材募集と日本の大学の人材募集のやり方の違いに良く現れているように思います(*3)。
自分の思考の制約の話に戻ると、自分は自分で「これをしなければ行けない」とか「これをやってはいけない」とか、っていうのを、社会で自分が置かれた立場に応じて位置づけて制約することが多いように思います。助教は〇〇をしては行けない、また、〇〇をすべきだ、というような考え方です。実は、この思考パターンは、組織を見渡した場合には有効な考え方で、組織がうまく行くために必要な役回り(ラボなら一人は引き締める役割が必要、つまり悪役ね・・。審判とか、褒める役も必要ですね)があります。別の例えだと、ストーリーが売りのプロレスに、悪役がいなければタダの喜劇になっちゃうよ、とか、よしもと新喜劇にずっこけがなければ新喜劇じゃなくなっちゃうよ、みたいな感じですかね(*4)。例えが本質的にズレているというつっこみは無しで(ナンデヤネン!)
もっぱら、この5年ほどで自分に課していた(暗黙の)思考・行動の制約は、立ち上げの時期にあった自分の所属するラボが、うまく機能するのに必要な役回りを行うことです。もちろん自分のやることをやった上でですが、各学生さんの状態を把握し、ラボ全体のバランスを把握し、まれにあるリスクを摘み取り、、注意喚起して、、、時にだべり、、励まし、、という、中間管理職的職業意識です。物品管理とか。
ただ、この役割はもう必要なくなった(*5)ように最近思うので、そろそろこの制約を外してもいいかなぁ・・・・と思い、この1年くらいで行動を変えました。行動経済学的に理解するならば、ラボの効用を最大化するのではなく、自分個人の効用を最大化するということです。
ちょっとしたきっかけは、学生さんの一人に凄くルールーを遵守する子がいるので、その人を見ていて自分も大概だなぁ・・・・と思ったことですかね。。。その人にむかって伝えたことは、「もっと自分を解き放つんだ!」「既成概念とかルールに囚われ過ぎたらダメだよ」「自分でやることを見つけてどんどん進んでね」、などと言ったのですが、そうしたら、「山田先生、宗教できますよ」みたいなことを言われまして、「なるほど!価値観の共有はまず洗脳からだね」と思った次第です。
自分が教祖になれるとは思えませんが!(*6)
ということで、自分よりも教育力の高い、何事にも負けない隣の住人が来たので、自分は早く後進にポジションを渡せるように、自分で自分の道を切り開くことに全ての力を注ぐように行動していこうと思います。
蛇足:ちなみに私は人を刺激して、人が成長していくのを見るのが好きなので、吸収力抜群の対象がいるととても楽しいです。ただし、水準は常に下げないので、く、く、くるしい・・・となってしまう人(それが原因であったように思う)、も中にはおりますので、何事も見極めが重要かと思います(*7)
サラバダー(*8)
*0:全く伏せ字の意味がないのは単なる楽しむ作文だからです。
*1:正確には制約ではなく世界標準の常識
*2:西部と東部の話で、中部は全然違うそうです。昔飛行機で隣の席になった品の良いマダムが色々教えてくれました。
*3:アメリカだと、すげーコストかけて、最後の一人に決めます。
*4:異論はあろうかと思います。
*5:諸々の理由で。寧ろ自分がやっているのは今後のために良くない。
*6:本物の宗教の方
*7:自戒をこめて
*8:落ちなしコメント1件
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